浄土真宗本願寺派[転法輪山]極楽寺 |

浄土真宗の教え

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浄土真宗の教え

浄土真宗は、釈尊の説かれた『大無量寿経』を本として、
親鸞聖人が明らかにしてくださった法である。

釈尊は、その生涯に数多くの教えを説かれたが、要は生死の迷界を離れて、悟りの世界に到る道を示されたものである。それらの教えの中で、私どもが真に迷いを離れて悟りに到ることのできる法は、浄土真宗のほかにはない。浄土真宗とは往生浄土の真実の宗旨という意味で、阿弥陀仏の願力によって、いかなる者も救われる法である。

私どもは、現に無明煩悩におおわれて生死の迷界にさまよい、はてなき苦悩の中にあって、これを出ることができない。阿弥陀仏とは、この私どもを救うために、一如の悟りの世界から現われて、願をおこし行をつんで、知慧と慈悲とを成就した仏となり、その願力をもって、私どもをお救いくださる。

そのお救いとは、生きとし生けるものに、南無阿弥陀仏の尊いわけを聞かせて、これを信じさせ、称えさせて、浄土に生まれさせ、そこで仏にならせるという法である。したがって、私どもはただお聞かせいただいて、これを信じ喜び、お念仏を相続するだけで、この世の命が尽きたとき、浄土に生まれて直ちに仏とならせていただき、こんどは他の迷える人たちを自由自在に救うことができるという利益を与えられるのである。

ところで、私どもはこの法を聞いて、仏の慈悲を喜ぶ身になっても、迷いの身が、すぐに悟りの身に変わるのではない。現に肉体を持ち、この世に生きている限りは、人間としてのさまざまな苦悩は解消しない。けれども、浄土に生まれて仏となるべき身に決定するのは、現在ただ今である。

「弥陀の誓願不思議にたすけられまひらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。」(『歎異抄』)と示されているのは、この意味である。仏の慈悲を知らせていただいたとき、もはや仏の救いの力の中におさめとられる。これを現生正定聚とも、現生不退ともいわれる。現生というのだから、死後のことではない。正定聚とは、まさしく仏となるに定まった聚類(なかま)ということであり、不退とは、二度と再び迷界に退転しないということである。

この現生の利益は、人が普通に願い求めるような我欲を満たすことではなく、人間そのものの根元的苦悩からの解放を意味する。世間の喜怒哀楽における喜びは、相対的な喜びであり、限りある喜びであって、所詮、はかない喜びに過ぎない。これに対して、阿弥陀仏の法にあいえた喜びは、満ちたりた喜びであり、真に安らかな喜びであって、いかなる逆境にあっても変わることのない究極の喜びである。

これによって、いっさいの迷信俗信に惑わされることなく、どのような苦難に会おうとも、それを乗り越えて生きてゆく力が恵まれる。お念仏はその満ちたりた喜びを感謝する声であり、また、仏の慈悲につつまれたわが身を省みる慚愧の声でもある。

このようにして、お念仏の人生は、安らかな喜びの中にあって、現実の自己の生活をすこしでもうるわしくあらしめたいと願い、また世のすべての人たちのしあわせを念じて、自他共々に安らかな生活が恵まれるようにと、努力する生き方が展開する。そして、そのように精一杯生きてゆくままがお浄土への道中であり、仏の力にいだきとられた日々である。この法こそ、私どもに与えられた唯一真実の救いの道であると、親鸞聖人はお示しくださったのである。

親鸞聖人(無量)

浄土真宗の生活信条

  • 一、 み仏の誓いを信じ 尊いみ名をとなえつつ 強く明るく生き抜きます。
  • 一、 み仏の光りをあおぎ 常にわが身をかえりみて 感謝のうちに励みます。
  • 一、 み仏の教えにしたがい 正しい道を聞きわけて まことのみのりをひろめます。
  • 一、 み仏の恵みを喜び 互いにうやまい助けあい 社会のために尽くします。